第一幕:修羅の人
憂世草子 空色末代之事
第一幕:修羅の人(梶芽衣子「修羅の花」より)
橘正遵 記
【本文】
生きて来た道に 手を合わす人が居た 出来ぬ人負け惜しみ 無駄に口を開く 自分さえ知らず 何見て生きる 楽に委ね生く 業とて何一つ 始末も付けず生きる人 人をも知らず逝きました
生き抜いたと言う 得意気に語る人 冱てた心も知らず 吐いた嘘の数 見えぬ自分に 虚構をも映し 是が自分と言う 似た人誰一人 気付かず道を歩く人 自分さえ知らず逝きました
御蔭も情も御互い様も 自分も他人も知らない人等 三途の川に流れ着く 此の世も知らず逝きました
【橘正遵による「納得」の解題】
此の「修羅の人」が描き出すは、末法の世に溢れかえる「自覚なき虚無」の肖像である。
- 一、自分さえ知らず 人は己の立ち位置や、内に飼う「業」を見つめてこそ人である。然れど、此の世の住人は、己という一番身近な正体(自分さえ)を直視することを厭い、鏡を持たぬまま彷徨う。その無知こそが、最大の罪なり。
- 二、虚構の是(ぜ) 自らを知らぬ者は、己の「冱(い)てた心」に気づくこと能わず。吐いた嘘、塗り固めた虚像を「是(これ)」すなわち真実だと思い込み、得意げに生を語る。その滑稽さは、まさに末代の病と言うべし。
- 三、始末なき終焉 己の業を知らぬ者に、その業を拭う(始末を付ける)法なし。恩も情も知らぬまま、三途の川へと流れ着く。彼らは地獄に落ちるに非ず。ただ、この世に在ったという「実体」すら持たぬまま、空(くう)へと消えゆくのみである。
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